60過ぎて、アスリート気取り~Like an Athlete after 60

60過ぎて、アスリート気取り~Like an Athlete after 60

よく動けば、老後もすこやかに暮らせるか!? そんな試みを楽しむ日々を綴ります~~The fitness journey of a Tokyo woman in her 60's

進みたい方向性を自覚する~Be Professional in Working

プロフェッショナルであること、このスポーツを愛すること、自分がどこから来たのか、どこに行くのかを自覚して、自分を律して毎日走り、インスピレーションを与えることが必要だ

(出典:まさに走る芸術!“史上最強ランナー”キプチョゲが東京で魅せた42.195キロの深み

 

これは、先日の東京マラソンで圧巻の走りをみせて優勝したキプチョゲ選手が、レース後に、大迫傑選手(東京オリンピック男子マラソン6位入賞後、いったん現役を退いたが最近復帰を表明)から「どうすれば、長く活躍できるのかお聞きしたい」と質問された時の答えだ。ストイックなまでに準備をして本番に臨むという世界記録保持者の言葉は、説得力があり直球で心に響く。

 

走る哲学者とも言われるキプチョゲ選手は、同じくオリンピック男子マラソン2連覇のアベベ・ビキラ選手を私に思い出させてくれる。東京オリンピックでの彼の活躍は、当時まだ4歳だった私の記憶にはないが、『なぜ人は走るのか』(筑摩書房、2011年12月1日発売)のリーディングと数章分の下訳をさせてもらい、アベベ選手のことを紹介した「アフリカ勢の台頭」の第17章を訳したことがあるのだ。42.195kmを裸足で走り終わった後、疲れたそぶりも見せずに芝生の上で淡々と整理運動をやってのけたアベベ選手。ケニアエチオピアという国の違いはあれ、キプチョゲ選手とアベベ選手の凛としたイメージが重なり合う。

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久しぶりに手にしたこの本をパラパラとめくりながら、再読してみようと思った。下訳をさせてもらったとき私は50歳手前。国際協力団体で契約社員として常勤していて、通訳案内士の試験に合格したものの実際にガイドする自信はなく、暗中模索で今後の方向性を探っていた時期。可能性を試してみたくて、お世話になった翻訳の先生の下訳者募集に手を挙げた。日中の仕事は残業も日常茶飯事だったから無謀だった、と今なら思えるが、私はまだ自分の体力に高をくくっていた。平日の帰宅後と土日に睡眠を削って原書と対峙したものだ。しかし、二兎を追う者は一兎をも得ずとはよくいったもので、自分の中で最善は尽くしたものの、時間と場所に拘束されない下訳の仕事のほうが滞っていった。疲れ果てた挙句に、納得した仕事はできず、他の下訳者さんと先生の負担を増やしてしまった苦い思い出が残る。まだ37歳のキプチョゲ選手の「自分はどこへ行くのかを自覚してプロフェッショナルであれ」の言葉を、49歳の自分に送りつけたい。

 

もうお亡くなりになった偉大な翻訳の先生は、実業団にスカウトされた元ランナーでもあった。30代初めに先生の勉強会に参加させてもらったとき、先生は青梅駅伝(?)の監督をされていた。勉強会のメンバーで駅伝チームを組むことになり、翻訳ではひとりだけ低レベルの私はせめて走りで頑張ろうと意気込んだ……が、メンバーがそろわず幻の駅伝となった……。

 

そんなことを思っていると、無性に走りたくてたまらなくなった。またまた久しぶりのランニングとなったが、午前中にいつもの公園を10㎞。「見驚(けんきょう)」という名のピンク色の愛らしい梅が心を和ませてくれた。今仕事ができるのは、こうして今までお世話になった先生や先輩方、勤め人時代の上司や同僚のみなさんのおかげ。感謝の言葉しか見つからない。

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