60過ぎて、アスリート気取り~Like an Athlete after 60

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よく動けば、老後もすこやかに暮らせるか!? そんな試みを楽しむ日々を綴ります~~The fitness journey of a Tokyo woman in her 60's

転機となった仕事〜A Turning Point in My Career

後になって「ああ、あの時が転機だった」と思う出来事がある。

 

私の通訳ガイドの仕事の場合、それはちょうど10年前にやってきた。資格は取ったものの独り立ちする勇気も自信もなく、国際協力関係の団体に常勤していたが、2010年10月の50歳の時に意を決してフリーランスベースでガイド業務をスタートさせた。いきなり泊まりを伴う横浜APEC首脳会議のバイリンガルスタッフの仕事で、苦労もしたが刺激的で勉強になった。その後も少しずつ順調にアサインしてもらっていたが、翌年の東日本大震災でガイド業務はほぼ消えた……しばらく翻訳の仕事をしてつなぎ、その夏、オファーがあった39日間のクルーズ船の仕事を、私は無謀にも受けた。イタリアの豪華客船にクルーとして乗り込む仕事。息子も娘もすでに成人していたし、夫は単身赴任中。環境が背中を押した(夫に報告したのは引き受けた後)。

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左の画像はWEBからお借りしました。記念にもらったポーチとバックパックは今でも大活躍!

アサインされたポジションは、クルーズ船のアダルトアニメーター。ショーの司会・通訳、日本人お客様のお世話をする。とにかく体力勝負の仕事だった。純ジャパ(留学・海外在住経験なし)の私は他の国籍豊かなクルーとのオーラルコミュニケーションにも一苦労した。しかし、乗船したからにはやるしかなかった。非常時対応のドリルの試験では追試験……夜の睡眠時間は4時間を切っていたように記憶している。朝は寄港地でエクスカーションに出かける日本人お客様を笑顔で送り出し、ランチタイムに戻ってくる彼らを適切な船内のレストランに誘導。午後にはダンスやイタリア語のレッスン、ちょっとしたアクティビティがあり、ディナー前後にビンゴやゲーム。夜の10時にメインイベントのショーが始まる。その後ディスコタイムが始まり、日をまたいでようやく反省会と明日の予定の確認……。老眼がすすみ、若い同僚が資料を私にだけ拡大コピーしてくれた。

 

イタリア船だから地中海に行けると思い込んでいたけれど、実際はプサンから乗り込んだ後は、済州島、上海、博多、船上をぐるぐると回る船旅^^; 台風に直撃されてもクルー側だから酔うわけにもいかない。

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左:空き時間にchildren animatorのクルーと済州島探検/中央:1日終わるたびに同室のSちゃんとXを付けた手作りカレンダー/右:毎朝たっぷり食べたクルー専用の朝食

しかし、楽しいことも得ることもたくさんたくさんあった。趣味でやっていたダンスが活きた。ジェニファーロペスのon the floor🎵が流行っていて、ディスコタイムで毎夜踊り、4日に1回あったプールサイドダンスパーティも本当に楽しいひと時だった。なんといってもメインイベントの後に生バンドをバックに踊れたことはこの上ない喜びだった。ショータイムでは、シャイだと思い込んでいた日本人お客さんが大胆なリアクションを披露してくれ、大きく感動もした。実はすごいまじめだけど陽気なイタリア人、リズム感抜群のドミニカ共和国の直属上司とダンスマエストロ、優しい韓国の同僚、キャビンで同室だった可愛い日本人Sちゃん……国籍もバックグランドも違うけれど、どの人も魅力的で一生懸命で人生を楽しもうとしていた。

 

この仕事をしてからは、どんな仕事でもやれる!そんな気持ちになった。翻訳の仕事からはもちろん、通常の個人のお客さん対応のガイドでも味わえない厳しさと楽しさを体験したことは、その後の人生の大きな宝物になった。クルーズ船内でそれを感じる余裕は全くなかったが、10年たった今は、心からそう思える。

 

Looking back at my work history, I had a turning point 10 years ago at the age of 51. 

 

In the middle of summer in 2011, I embarked on an Italian luxury cruise ship as a crew. My job included holding a microphone for Japanese passengers in every afternoon activity and night show, dancing with them at the disco time, accompnying a Japanese who needed the language support to the ship medical office, etc.. 

 

The 39-day work was so hard for me that the average amount of sleep was about 4 hours and I recognized that I had poor English oral proficiency, but there were more pleasures and gains than I expected. Since I had no experience of studying/living in other countries, working with international coworkers who had totally different background was a really precious experience in my career.

 

I haven't found any more challenging job than this one so far!